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【インタビュー】優れたコードよりも、当たり前のことを。年収1000万円フリーランスエンジニアへの道

エンジニアとしてのキャリアを考える上で、スキルアップに不安を持つ方は多いのではないでしょうか。株式会社リクルートスタッフィングが運営するITSTAFFINGでは、スキルアップのために努力されている登録スタッフにインタビューをし、普段のお仕事で気を付けていることや、スキルアップのための取組み方について、定期的にご紹介します。

「フリーランスとして年収1000万円」ーーそう聞くと、自分とは遠い世界、たとえば天才的なコードをスラスラ書けるとか、難しい要件のシステムを巧みに設計してしまう、そんな想像をされる方もいるかもしれません。今回お話をうかがった永井充さんは、フリーランスとして年収1000万円を実現しているそう。しかも、かつてITスタッフィングで登録派遣のエンジニアとして活躍していた一人です。現在のポジションをどのように獲得していったのでしょうか。

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エンジニアへの道で一度挫折を味わう

永井さんは大学の水産学部を卒業。当時は、インターネット環境といえば、せいぜい大学や大企業の汎用コンピュータがつながっているぐらい。そのため、永井さんも学生時代にコンピュータに深く関わったわけではなかった。

しかし就職はソフトウェア開発会社へ。1988年のことである。まだインターネット普及前とはいえ、当時すでにコンピュータ業界は今後普及していく期待の業種だった。

永井さんが担当したのは大手証券会社のシステム開発。ターゲットはメインフレーム(汎用機)で、開発言語はCOBOLやFORTRANという今ではマイナーになってしまった言語。研修でコーディングを覚え、プログラマとして活躍した。

「結局、その会社には10年ほど在籍しましたが、自分にはコーディングは向いていないと感じました。それよりシステム全体を見渡すような上級SEを目指したいと思い、転職に踏み切りました」

転職先は営業が中心のシステム開発会社で、永井さんは客先でPMを担当。時代はちょうどWindows 3.1からWindows 95に移行する時期で、ホストコンピューティングからクライアントサーバ型のシステムへの移行も始まっていた。

「サーバーコンピュータもコンパックやIBMのタワー型筐体で、LANも今のようなTCP/IPではなく、Netware社のプロトコルで接続していた時代です。『ダウンサイジング』というキャッチフレーズが流行り、新たなプロジェクトが、それこそ山のように生まれていきました」

永井さんは同社で15年ほど務めたが、結果、この会社も退職することになる。その理由は、担当した大きなプロジェクトで損失を出してしまったこと。悩んだ挙句に責任をとって退職した。

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偶然知った派遣という世界が再びエンジニアの道へ

もうエンジニアはこりごりと思い、次に転職したのは外資系保険会社の販売代理店で、職種は営業だった。2011年のことである。

「歩合制なので、売れているうちは収入も大きく伸ばすことができました。最初のうちは、友人や知人を頼って売っていったのですが、次第に手持ちの人脈も尽きてきます。そうなると苦しいですね。しかし、この仕事で、電話や手紙など、人脈構築のために地道な努力をすることを学びました(笑)」

永井さんは、結局、一定の成績を保てず、3年ほどで代理店契約を切られてしまい、無職になった。「奥さんに申し訳ない」という気持ちでいっぱいの永井さんは、警備員のアルバイトをしながらすぐに職探しを始めた。しかし、いくつもの求人に応募し、その都度、面接でスキルや経験を聞かれることの繰り返しが次第に煩わしく感じるようになってきたという。

「そんなとき、知人から聞いた派遣会社のWebページを覗いてみると、いろいろな仕事が豊富にあり、とても驚きました。登録時に自分の職歴やスキルを書いておけば良いのもとても便利でした」

もうこりごりと思ったIT業界だが、20年以上の経験があり、PMまで経験していることは自身の強みと考え、派遣スタッフとして電力系企業や通信キャリア系企業のPMまたはPMOの仕事を選んでいった。

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自身に対する人件費に見合ったサービスを提供できているか?

その後も、いくつかの派遣先を経験した永井さんだが、2018年に、派遣からフリーランスへの転機となるプロジェクトに携わることになる。

そのプロジェクトとは、派遣先であるITサービス企業でPMOスタッフとして働くというものだった。

「実質PMとして動いていて、主に化粧品通販会社のコンタクトセンターなどを任されました。改修や機能追加などもあり、常にバックログが10件ほど走っていて、収支を考えながら、人員をどのように配置していくかを考えるのが、とても面白い仕事でした」

このようなプロジェクトを任され、収支や人件費について考えることで業務に対する視野が広がり、フリーランスとして働くことを決めた。

しかし、フリーランスになることに不安はなかったのだろうか。よく言われるのは、仕事が無くなったときに困らないかという問題である。

「その点については、常に5社ほどエージェントと連絡を取り続けています。加えて、これまで派遣でお世話になった仕事先のキーパーソンの方々にも。なかには『今の仕事が無くなったらウチに来て』と言ってくださる方もいらっしゃいます」

今の仕事をこなすだけでなく、先を見据えた営業活動も。こうした地道な関係構築は、かつて外資系保険会社の営業をしていた時に身につけたものだそう。

「ちなみに、無職だったときにやっていた警備員のアルバイトですが、今でも週に1回だけやらせてもらっているんです(笑)。休日は人を集めにくいらしく、重宝されています。これも将来、仕事がまったく無くなったときの保険のようなものですね」

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年収1000万円のフリーランサーからのアドバイス

永井さんにとって、フリーランスになって良かったと感じている部分はどこだろうか。

「たとえば年収1000万円を達成するには、ざっくり時給にして5,600円が必要です。その上で月に160時間、そして12カ月間きっちり働かなければなりません。その点、フリーランスは準委任業務という契約なので、契約次第ですが、月ごとに結果を出せれば時間に縛られることがなく、働き方を自分で調節できます」

実際に、永井さんは、そのときの忙しさに合わせて仕事の時間を月140時間から180時間の間でコントロールしているという。

働き方が調節できて収入も向上する“良いことづくめ”のように見えるフリーランス。永井さんの話を聞いて自分も目指したいと思った方もいるのではないだろうか。そんな方に向けて、永井さんから心強いアドバイスをいただいた。

「私は人より優れたコードが書ける訳でもなく、卓越した設計ができるわけでもありません。PMの経験はありましたが、PMとしての個々のスキルだけなら、自分より上の人は世の中にいくらでもいると思います。そんな人たちと、同じ土俵ではとても戦えません。それならば、どうするか。人が嫌がること、やりたくないと思うことを率先して引き受けるようにしています。たとえば、プロジェクトの進捗管理は、担当者から煙たがられるので、多くのPMが嫌がる業務の一つですが、これもしっかりとやる。PMの仕事だから当たり前と思うかもしれませんが、そこがとても大切です」

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加えて、永井さんはフリーランスとして活躍するためのポイントとして、きちんと会社に来る、トラブルが発生したときに逃げない、きちんとした恰好をする、の3つを挙げてくれた。「こうした当たり前のことを続けるだけでも大きな武器になる」という。

「フリーランスか派遣社員かというのは契約上の問題に過ぎません。大切なのは周囲の人たちに、いかに気持ち良く仕事をしてもらうかということです。たとえば、トラブルが発生したときに逃げないこと。これは、自分自身が解決に直接役立てなくても構いません。とにかくその場にいることが大切なのです。誰かを手伝えるかもしれないし、チーム一丸となって解決に当たるんだ、というムードをその場に作り出せるかもしれません。何ができるのかではなく、どう動くのかが大切です。きちんと仕事をしていけば、道は必ず開けてきます」

なにが自分の強みなのか、しっかり理解している永井さん。スキルを上げることももちろん大切だが、それとは別に、自分が周囲のためにできることを探してみるのも良いかもしれない。