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時間、収入、やりたいこと。私は全部かなえたい: シングルマザーのわがままなエンジニア人生

子どもを育てるために時間が欲しい、お金も欲しい。専業主婦だった二児の母は、いかにしてこれらの希望をかなえたのか。

「なぜ働くのか?」。この問いに、読者ならどう答えるだろうか。

「お金のためだ。家族を養うために、嫌な仕事でも我慢して働く」「やりたいことをやるためだ。やりがいのある仕事なら、多少収入が低くても構わない」「プライベートのためだ。そこそこ稼げて時間に融通がきく仕事が都合がいい」など、答えは人それぞれだろう。

しかし、疑問に思わないだろうか。プライベートとの両立、高収入、やりがい――全てを望んではいけないのだろうか。どれかを目指したら、どれかは諦めなければいけないのだろうか。

これらの全てを望み、手に入れたエンジニアがここにいる。田中美華さん(51歳)、ご主人に先立たれ、女手一つで二人の子どもを育て上げたエンジニアだ。派遣という仕組みをとことん利用して「わがまま」な働き方を実現した彼女のエンジニア人生を紹介しよう。

二人の幼子を抱えて――IT知識ゼロからのスタート

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大学卒業後、地元の大阪で通信会社に就職し、オペレーターの仕事に従事していた田中さんは、結婚・出産を機に会社を退職し、子育てに専念していた。

しかし4年後、田中さんに予期せぬ転機が訪れる。ご主人に先立たれ、二人の子どもたちを育てるために、再び仕事を始めなければならなくなったのだ。1994年のことである。

最初は、外資系大手コンピューターベンダーの電話オペレーター業務についた。当時はWindows 3.1からWindows 95への移行期。個人にもPCが爆発的に普及し、PCを対象とするエンドユーザーからの問い合わせに対応するコールセンターのニーズが急速に高まりを見せていた時期だ。ITの知識はなかったが、独身時代に携わっていたオペレーター業務ならばできると考えての選択だった。

職場では、電話オペレーター以外にもさまざま職種の人が働いていた。周りを見渡した田中さんは、IT知識を駆使した職種の方が、非IT分野よりも給与が高いことを知る。「子ども二人を育てるには、お金がかかります。それならIT分野で手に職を付け、より稼げるようになろうと決心しました」

ここから田中さんのエンジニア人生がスタートする。

ITの知識がまったくなかった田中さんは、ITの基礎知識を学ぶところから始め、案内のみのオペレーターからヘルプデスクやカスタマーサポートなどのテクニカルなオペレーターにステップアップしていった。

このときは、まだパートという雇用形態だった。

東京へ行こう!――子ども中心に働くために選んだ派遣という雇用形態

ITの基礎知識を身に付けた田中さんは1995年に職場を変え、大手通信キャリア系企業のネットワーク部門で働くようになる。パートから契約社員へ雇用形態が変わり、仕事を通じて新たなITスキルを身に付けて、専門的な仕事も任されるようになっていった。

新たな職場でいろいろな仕事を任されるようになり、収入アップも果たした田中さんの次の目標は「東京」だった。子どもたちが大きくなるにつれ、進学について考えるようになる。「東京に出た方が、いろいろな選択肢が広がるのではないかと考えました」

東京で働くためにはどうすればよいのか。勤め先の東京本社社員に相談したところ、派遣スタッフで就業するという選択肢があることを教えてもらった。

これが派遣で働き始めるきっかけだった。

子どもが小さい時期は、土日が確実に休めることや時間の拘束がそれほどきつくないことがありがたく、派遣で働くことに不安はなかった。「あの働き方は当時のライフスタイルに合っていた」と、田中さんは振り返る。

しかし、職場には自分よりも高いスキルを持った人が多く働いている。自分が取り残されてしまうのではないかと心配になった田中さんは、生活を守るために働く一方、ネットワークやセキュリティ、言語系など手当たり次第に勉強し、初級システムアドミニストレータ試験やCCNAなどの資格も取得していった。その中で自分の専門分野「ネットワーク」を見つけ、時給を少しずつ上げていった。

もっと収入が欲しい――子どもの成長に合わせて働き方をギアチェンジ

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東京で働いた最初の時給は1800円だった。

自分一人ならばそれで十分かもしれないが、子どもたちを高校、大学に進学させるためにはそれだけでは足りない。そこで田中さんが考えたのは、さらなるスキルアップと、それを武器にした時給交渉だった。

契約の再締結や新たな契約に移るタイミングで自分を高く売り込むために、田中さんは頑張った。終業後にスクールに通って勉強し、ITILファンデーションやドットコムマスター ダブルスターなど基礎的なものから、マイクロソフトのサーバー管理やPMPなどの上位資格まで、資格を取得しまくった。もちろん、二人の子どもの母親としても一切手を抜かずにだ。

「子どもたちに不自由な思いだけはさせたくないという一心で、スキルアップやキャリアアップに励みました」

会社員は給与の交渉をする機会はめったにない。しかし、派遣は任される仕事の内容で紹介される案件の時給が変動する。田中さんは新たに取得した資格や習得した知識を最大限に生かし、仕事の幅を広げることで収入を上げていった。

時給は最高6500円になった。それに伴い仕事の難易度も上がり、50人のチームのマネジメントや、コールセンターシステムの設計・構築、事業計画の企画担当なども手掛けた。プロジェクトマネジャーや派遣先企業社員の教育など、派遣というイメージで一般の人が考える範囲を超えて、活躍し続けた。

「数十億円のプロジェクトの企画書を私がまとめ、派遣先の上司に頼まれて会議に同席したこともありました。プロジェクトについて全ての質問に答えられるのが私しかいなかったのです(笑)」

その後田中さんはフリーランスになって法人を設立し、システム構築やプロジェクト立ち上げなどの仕事を請け負い、働きに働いた。当時を振り返り「あのころの私は、こーんな顔をしてたのよ」と、しかめ面を作っておどけてみせる。仕事はハードだったけれども、二人の子どもを無事、大学まで卒業させることができた。

さあ、自分のために働くときが来た。

面白い仕事をしたい――「わがまま」に生きる働き方

下の子どもが大学を卒業して子育てに一区切りがついた田中さんは、フリーランスを辞め、また派遣で働きだした。

「フリーランスは技術以外の仕事に割かれる時間が多過ぎるので、技術に専念するために派遣に戻ってきました」

フリーランスだと自分でやらなければならない営業やお金の計算を、派遣なら全部派遣会社が代わりにやってくれる。健康診断や福利厚生も派遣会社のものが利用できるので不便は感じない。何より自分が面白いと思える仕事、やりたい仕事を「選べる」のが派遣の魅力だと田中さんは話す。

「私は面白いことがしたい。だから派遣を選んでいるんです」

派遣スタッフに復帰後は、システム設計構築プロジェクトのマネジャーを経て、現在は、商社系企業のシステム入れ替えプロジェクトの企画やコンサルティングを担当しているという。いろいろな機器を試せるのが楽しい、とオモチャをもらった子どものように田中さんは笑う。

さまざまな派遣会社を利用してきたが、派遣復帰後はリクルートスタッフィングを利用することが多いという。

リクルートスタッフィングの営業担当は、職場にちょくちょく顔を出してくれるし、私に合った接し方をしてくれるので、気持ちよく仕事ができています。今は自分のやりたいことを仕事にしたいので、毎回、次の仕事を選ぶときにあれこれ注文を付けますが、粘り強く対応してくれます。本当にありがたいですね」

子どもが小さい時期は家庭との両立ができる働き方を、教育や進学でお金がかかる時期には収入が多い仕事を、子どもが手を離れた今は、自分がやりたい分野に突き進める仕事を。ライフスタイルの変化に合わせて、派遣を活用した「わがまま」な働き方を田中さんは実践してきた。

田中さんの「わがまま」は自分勝手にふるまう「ワガママ」ではなく、自分のやりたい気持ちに忠実に応え、そのための努力を惜しまず頑張る「我がまま」だ。そのわがままをかなえる手段が派遣という働き方だった。

「派遣はもともと、スペシャリストのための仕組みです。新しいスキルや知識を習得することで、仕事が選べる。さらに、極めていけば、職場になくてはならない人物として大いに活躍できますよ」

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提供:株式会社リクルートスタッフィング
アイティメディア営業企画/制作:@IT自分戦略研究所 編集部/掲載内容有効期限:2015年6月24日